全日本男女選抜バレーボール大会(黒鷲旗)が5月1日、大阪府立体育会館で開幕する。今大会を最後に東レで12年間活躍してきた笠原紀久(34)がユニホームを脱ぐ。笠原は「応援してくれた人がいたからここまでやってこれた。最後の最後までコートに立ったら全力でプレーしたい」と闘志を燃やす。
中大卒業後、1996年に東レ入社。威力あるスパイクを武器にサイドアタッカーとして、同期の斎藤信治、小林敦(現コーチ)とともにチームの屋台骨を支えてきた。在籍中、Vリーグ優勝1回、準優勝5回、黒鷲旗優勝2回と輝かしい実績を残した。
引退を決意したのは昨年のシーズン前だった。「年齢からくる体力の限界。一昨年のシーズンは、毎試合前、腰に痛み止めの注射を打っていた」。しかし、笠原の力を必要するチームが慰留。笠原も残留を決め、今シーズンは満身創痍(そうい)の中、リーグ16試合に出場し、チームの準優勝に貢献した。ただ、1年の引き延ばしが限界だった。
笠原を語るうえで外せないのがムードメーカーとしての役割。矢島久徳監督は「けがの多かった選手だけど、ベテランになっても率先して声を出すなどチームを盛り上げる欠かせない存在だった」と評する。試合、練習を問わず声を出し、チームを鼓舞する姿は引退を間近に控えた今も変わらない。「寡黙に存在感を示すベテランもいれば、明るさや声など行動で後輩に示すベテランもいる。どっちがいいというわけではないけど、自分らしいのは後者ということ」と笠原。その姿勢に学ぶ後輩は多い。
99年に日本代表に選ばれるなど日本バレー界の一線で活躍してきたが、もともとは野球少年。中学時代はシニアチームに所属し、高校も野球での推薦入学が決まっていた。ところが監督同士のいざこざから推薦が破談に。野球の合間に週一で練習していた中学バレー部での活躍が目に止まり、急きょバレーでの推薦が決まったという。偶然から始まったバレー人生だった。
引退後はバレーボールから完全に離れる。「バレーは極めるところまでやった。これからはいろんなことを経験したい」。今後は1社員として営業職などに活躍の場を求める予定だ。
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